親の都合で【躾】という言葉が使われていることがある

はまぞう13

 

躾て何だろうと考えると

一人一人の取り方でどうにでもなる言葉

ちょっと怖い感じがする

公共の場で騒がないとか

順番を守るとか

見た目で判断することが多いような気がする

その時のお子さんの心はどうだろう

どっちかというと

親の都合だったりしないだろうか

それよりも

まず、お子さんが

何がいい事で、何が良くないことが分かること

分かるように教えてあげること

の方が大事なような気もする

転ばぬ先の杖のように

やる前から止められてしまうと

やりたい好奇心は残り

いい悪いの理由が分からなかったりする

小さい子の特権

何でもやってみる

いい事も悪い事も

だから、いい悪いの判断ができるようになる

当然そこには、親の手助けがいる

いい悪いを説明する

その次に大事なのは

正しいことはするけど

正しくないことはしない

それが当たり前になっていること

しっかりとした基準が

自分の中にある

自我がしっかりしていて

自分の判断で

いい事だからする

悪いことだからしない

それが出来たら「躾」なのかな?

なんか多いのは

そんな子とされたら恥ずかし

それを躾の言葉を借りて

やらせない

お母さんの顔色見て行動になってしまったら

多分は

お母さんがいなければ

判断ができずに

何でもやりたいことするんだろうなと

思ってしまう

お母さんの前でも何でもする子なら

お母さんに愛されている自信があって

お母さんの前で好奇心を

何でも発揮できる子なら

きっと、いい悪いの基準も

説明できるだろうけど

お母さん顔色を見るようになったら

何も知らないで終わるんだろうな

お子さんと一緒に考えられる

お母さんになったら

きっと、判断できるようになるんだろうな

そんな風に見えてしまう

そんな勉強会しています

やっぱり

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